拾った命で後悔はしない、というつもりだった。
第20(最終)回
護り、護られる命
ずっと続くと思っていた日々の安寧な生活は、予想もしなかった部分から綻びはじめ、やがては破られていった。だが予想もしなかった、というのは本当はウソだ。こんな生活を続けていれば、いずれは大変なことになると、重々承知だった。しかし、「その日」が来るまで本当に理解はできていなかった。
皆さんがこんな病に罹らないために、いま自分が言えることはふたつ。
ひとつは、もし自分の親族血族の方が病気で亡くなったのなら、どんな病気でなくなったのか、これは必ず知っておいたほうがいい。自分もその病で死ぬ確率は、他の死因で死ぬ確率よりかなり高い。以前、叔母が私と同じ病気に、50代と80代に罹り、最後は亡くなったことを書いた。私も50を目前にして同じ病に倒れた。そういう因子を血族的に持っているのだ。本当はそうでなかったとしても、そう考えておいたほうがいい。自分もその病気でやがて死ぬのだ、と。逆に言うと、その病気にさえ気をつけていれば、他の大きな病気には罹らないとも言える。強引ではあるが、がんの家系でなければがんにならないのではと思う。脳卒中、心臓病も生まれつきの部分も多いだろうが、成人病予防の心構えを持っていれば、回避は不可能でもその発症を遅らせることはじゅうぶん可能であろう。
もうひとつは、健康を維持するのに、薬の服用をためらわないこと。野球で、投手はノーヒット・ノーランを達成しようが、5イニングを投げてリリーフを仰ごうが、勝てば1勝は1勝なのだ。もう1イニング、と続投して、打ち込まれたら勝利投手になれないどころかチームも敗戦してしまうかもしれない。若いうちの薬漬けには感心しないが、ある程度歳を重ねたのなら、もう薬に頼って生きてもいいのではと思う。つまり、残りのイニング、自分が勝ち投手の権利を得ているのなら、薬というリリーフ投手にマウンドを譲って、自分の残りの人生を薬に託すのはじゅうぶんにありだと思う。その試合(人生)の勝利投手になることが、生きている最終的な目標、目的なのだ。
復職したら、努めて気をつけようと思っていたことがふたつある。
ひとつは、身なりをきちんとしよう、ということ。最近はエコなどあり、社内でも夏などはわりと楽な恰好で仕事をしている人が多いが、自分は夏以外は気候に関係なくスーツを着てネクタイを締めるようにしている。これは自分との「約束」だ。病院のベッドにいる頃、先行きが見えず、自分はもとの会社に戻って、もとの仕事に就けるのか、本当にわからなかった。じつは全然心配ないのか、逆にもうまったく望みがないのか、自分では判断できず、日々不安は募った。もしかしたらサラリーマンとして仕事でスーツを着ることなどもう二度とないかもしれないと考えたりした。だから心に決めた。今度また、以前の会社でなくても、会社員として復帰できたら、役に立たなくてもせめて身なりを整えて、その仕事に対する責任と自覚を体現して働こう、と。それは復職して3年近く経ったいまでも変わらない。
もうひとつは、努めて笑顔でいよう、ということ。長い入院、リハビリ生活の中で、人はひとりではいかに弱い存在であるかを思い知った。こむずかしいことは書くつもりはないが、笑顔でいたほうが、幾分、楽に生きることができるのを知った。手を貸してもらえるよう笑顔でお願いして、お礼ができるようならそのぶん、じゅうぶんにお返しをする。でも、なぜこんな簡単なことができなかったのだろう、わかりきったことがわからなかったのだろう。単純なことだったが、この単純なことを自分は疎かにしてきた。日常の中で、どれだけ忙殺され、疲弊し、また怠惰で不摂生あったか、病気にならなければ思いもつかなかったことなのかもしれない。それを思い知って戒めるだけでも今後の人生において、少しはプラスになるのではと思う。自分に起こることすべては、概ね、自分次第だ。
今年2月、市内南部の総合病院へ向かった。年2回の定期診療だったが、この病院には、発症時に県西の病院まで駆けつけていただき、私に緊急手術を施してくださった先生がいらした。以前の大学病院から異動になったとのことだが、先生が異動になったら、その異動先に病院を変えなければならないとは、初めて知った。いつものように、診療は簡単な問診だけですぐに終わった。
「先生、今さらなのですが・・・。」
?と、先生はいつもの少しにやけた目を、こちらに向けた。
「命を助けて頂き、ありがとうございました。」
私がそういうと、視線をPCのモニタに戻し、
「運だからね、これも。・・・運、運。」
もう少し熱いお言葉を期待していたが、先生らしい、淡々として穏やかな口調だった。
しかし、それがすべてだった。私は運がよかったのだ。運も実力のうち、などと偉そうな常套句があるが、運に才能や力量などまったく関係ない。たまたま、生き残って今、こうして生活しているに過ぎない。でももし、何かひとつ挙げるとすれば、それは私を護ってくれている「何か」。それに感謝したい。そしてそれは必ずある。ずっと昔から、そしてこの先もずっと。敢えて言えば、それが「運」なのだ。
連綿と受け継がれてきたバトンを、まだ次走者に渡す段階ではない。拾った命で生き続ける。拾った、とは失礼な言い方で、本当は救って頂いた命だが、いずれバトンを渡す時が来たら、今度は自分がバックアップする側にまわって、その先の人たちを護ってゆく存在に、なってゆきたい。
そんなふうに考えている。
(終)