拾った命で後悔はしない、というつもりだった。
第10回
シークワーズと前夜の夕食 2019年1月~4月
自宅療養中の特筆すべきこととして、喫煙の問題がある。重い病を何とか克服しつつあり、日常の生活も細部にまで関心が向くようになってきていた。11月末に退院して、まず念願の?電子たばこを吸ってみた。発症以来、3ヶ月半ぶりのことだった。一時帰休の時はその余裕がなかったというか、その考えが喫煙にまで巡らなかった。吸うと、頭がクラクラして、健康に悪い物質が体内に取り込まれたことをすぐに理解した。それでも習慣は恐ろしいもので、12月中はずっと喫煙していた。
年が明けて大学病院の診察へ出向いた。この病院には前年8月、発症時に県西まで駆けつけていただき私に緊急手術を施してくれた先生がいらした。
診察を終え、待機していると、中年女性の看護師が目を三角にして詰め寄ってきた。
「あなた、まさかたばこ吸ってないでしょうね。ダメですよ、本当に。何もいいことなんてないんだから」
初めてお会いする方だった。ただ私が知らないだけで、私の病気についてじゅうぶんご存じなのかもしれなかった。私から匂いがしたのだろうか、でも診察を終えたばかりでもう何時間も吸っていない。
この日この時に咎められてから、私は喫煙をしていない。お名前も存じ上げないこの方には、本当に感謝の言葉しか知らない。それは、病気や健康上の問題はもちろん大前提としても、それに加え喫煙をやめたおかげで、お金を使わなくなったことも大きい。なおかつ周囲に憚る必要もなくなり、また匂いもせず、いいことばかりだった。ただ夏前くらいまで、タール・ニコチンフリーの電子たばこは吸っていた。しかしあまりにまずいので継続しなかった。これにもお金がそこそこかかっていたが、「卒煙」できて本当によかったと思う。
もしどなたかが私と同じ病になり、私と同程度の障害を持っているのなら、何かアドバイスできることがあるかもしれない。少しでも早く日常生活に復帰してもらいたい気持ちは、同じ病気になった者として、掛け値なしの「切なる願い」である。ここではふたつをおすすめしたい。
ひとつは「シークワーズ」と呼ばれる、パズルゲームの本だ。クロスワードパズルとまったく逆で、マスには文字がびっしり埋め尽くされている。この中から問われている言葉を探す。タテヨコナナメと探してゆくのだが、文字の洪水の中から言葉を探し出すのはけっこうな「脳の体力」を使う。正直、楽しいかと問われれば微妙なのだが、病気にいいと言われれば、やるしかなかった。攻略法は編み出した。文字のうち「ふだん最もよく使わないもの」をひとつ選び、マスの中から探し出し、その周囲に他の文字がないか探す。例えば「プラネタリウム」とあったら、最も使用頻度が少なさそうな文字は「プ」だろうから、マス内の文字から「プ」を見つけ出し、それに近接して「ラ」「ネ」があるか確認する。すすめておいて何だが、本への書き込みはページの半分くらいで終わっている(笑) またやってもいいかな、とは思う。ちなみにこの本は地元に転院してすぐ、病院の方に勧められたものとのこと。
もうひとつは、前夜の夕食のメニューを翌朝に思い出すこと。これがなかなか出てこない。今も出てこないときがある。第3回でも取り上げたが、日々の行動でルーティーン化したものは、トリガーにならず、次々に同じような記憶で塗りつぶされ、忘却の彼方へ失われていった。食事を取るという行為は毎日のことで、ルーティーン化した最たるものだった。ここでも思い出す工夫を考えた。二者択一の問いに次々答えを出し、思考の「選択の余地」を狭めてゆくのだ。洋食か和食か、家でとったか外食か、パンかごはんか、ごはんなら白米かそうでないか、味噌汁が出たか、出たなら具は何か、洋食ならスプーンかフォークを使ったか、など。これでおかずを思い出すことは、3割ほどだったが、思考を巡らせ、深く考えることは明らかに脳に汗をかかせた。こうした地道な訓練が、多少なりとも回復の足しになると考れれば、何でもやった。(この回終わり)