酒保開ケ。WEB

拾った命で後悔はしない、というつもりだった。

第9回
たいくつなので歩く。そして転ぶ 2019年1月~4月

2018年11月末に病院を退院し、以降GW明けまで自宅療養となった。

30年振りとなる、久々の「素浪人」となり、通院以外にとくにやることがなかった。地元の町なかのリハビリ施設の案内を取り寄せて、通う準備をしかけたが、どこにもマヒがないのであまり意味がなく、そうした施設のお世話にはならずに済んだ。ただし身体の衰えは痛感していたので、自力で身体を鍛えることにした。やらねばならないという意識はなく、やりたいからやる、やらずにはいられないという気持ちからだった。

まず病院にもらった小冊子にある、棒切れを使った体操をした。老人向けだったので身体への負荷はほとんどなかったが、病み上がりの身体には最適な運動で、なかなか考えられているなと感心した。

次に、腹筋と腕立て伏せを試みたが、3回目ができなかった。恐怖を感じるほどの身体の衰えぶりだった。少しづつ回数を増やして、復職までには10数回はできるようになっていた。

区のスポーツセンターにも何回か通った。いろいろ器具が揃っていたが、エアロバイク専門で、他の機器は利用しなかった。料金を払ったり、ロッカーを使用したり、順番を守ったり、そこには当たり前の社会生活のルールがさまざま凝縮されており、実際のエクササイズ以上に、自分にもたらされた「経験値」は大きいものがあったように思う。

だがメインはウォーキングだった。たぶん、ここで書いたくらいでは理解してもらえなさそうなくらいに歩くのは好きだったので、家の近辺を徹底的に歩いた。2時間経つと妻からLINEで、現在位置を申告するようにとメッセージが届いた。2時間くらいは平気で歩き続けたが、待つ妻の心中はいかばかりであったろうか。夫はほんの3,4ヶ月前には死にかけていた人間である。

第7回で眼の障害の話をしたが、日常は眼帯をして過ごしていた。複視が出ないように、右眼を完全にカバーして、左眼だけでモノを見ていた。当然、複視にはならず、視界はまずまずクリアだった。だからウォーキングも眼帯で完全に右眼を隠して数キロを歩いた。

そのうち、異変が起きた。2月下旬くらいのことだ。歩いていて、何度か転倒することがあった。足がもつれるとか何かにつまづくとかではなく、バランスを崩して身体がななめになって、最後は転んだ。バランスを立て直すために前進する。それでも直らないのでスピードを上げて立て直そうとする。そしてさらに前進するとさらに身体が斜めになり、さらにカバーしようとまた走った。最後は身体が斜めのまま全力疾走になり、やがて斜めになったままで転倒した。最後に転倒したときは、アバラにひびが入って整形外科へ通院した。まったく何をしているのやらと、呆れるしかなかった。

だがこれは本当に恐怖をともなう身体の異変だった。ネットで調べると、「突進行動」に似ていて、この現象はパーキンソン病患者によく見られるものとのことだった。

「マ、マイケル・J・フォックスかよ・・・。」

オレはパーキンソン病にも罹患していたのかと、もはや自嘲気味に冗談で済ませようとする自分がいた。

だが原因は何となくすぐにわかった。眼帯をして片目で長距離を歩くうちに、平衡感覚を失い、身体がななめになり、これをリカバリするために急いで前進し、やがて全力疾走となり最後は転倒するようだった。この時、なぜ眼帯にはポツポツ細かい穴が空いているのかを理解した。眼帯は、悪いほうの目の見え方を「アバウト」にして、ふたつの眼でモノをみるという基本動作を保ったまま視界を修正する道具なのだと悟った。以降、眼帯セットに付属するガーゼは使用せず、穴の開いた眼帯のみを装着して使用した。それ以降、道端で転倒することはなくなった。

ウォーキングはその後も継続し、今も「月に30万歩」をノルマにしてこれに取り組んでいる。転倒して骨にヒビを入れても歩くことをやめなかった成果が、現在の健康な身体の基礎を作り上げたのだと思いたい。2021年12月からは、休日のウォーキングを7kmほどのランに切り替えた。ビジネスバッグを携行し、トボトボ散歩を始めてから、まる3年が経とうとしていた(この回終わり)。