酒保開ケ。WEB

拾った命で後悔はしない、というつもりだった。

第4回
押し入れの中の大切なもの 2018年10月、11月

入院中、自宅の押し入れの中のものがしきりに気になっていた。それは当時「自分が入院している間に自宅は引っ越した」という誤った認識があったためだ。なぜそう思ったかは、わからない。

では引っ越したときに、パソコンやカメラや衣類など、自分の私物はどうなってしまったのだろうか。そして、さして大事なものというわけでもなかった押し入れの中のものはどうなったのか。「中のもの」とはデジタルデータのストックや、趣味関係の書籍、古いレコードやCD類、コンピューター関係のパーツなどのことだ。押し入れにしまったまま取り出すこともほとんどなかったこれらのものの存在を、大病を患った当時、なぜ気にする必要があったのか。ちなみに、現在はそれらのものは半数以上は捨てて処分してしまった。中には数万出して購入したF1の昔のビデオなどあったが、すべて破棄した。これから生きていくために「再起動」した自分にはもう、それらはおよそ必要のない、無意味で無価値な「物体」でしかなかった。

その中で、不思議な記憶がある。その「引っ越し先」を訪問した記憶だ。正確には、引っ越したことにより行き場のなくなった荷物が置いてある場所に、だ。入院中なので簡単に外出などできないはずなのに。100%自分の思い違いなのだが、その場所は複数存在し、1回づつ訪問した記憶がある。しかし「引っ越し先」には、お目当ての書籍もビデオもなかった。あるはずもなかった。それらは引っ越してもいない自宅の押し入れにずっと入ったままなのだから。そしてこれらは退院、帰宅後に、すっぱり、というほどではないが、かなりのボリュームで破棄して決別した。

11月に入ると、どうにか記憶も安定してきて、件の「googleマイアクティビティ」に残る情報もあって、当時の状況を思い出せることも多くなってきた。

スマホ/タブレットの履歴を見ると、さかんに再生し視聴している動画があることに気づく。パワープレイ、ってヤツだ。それは石川秀美が「ゆ・れ・て湘南」を歌う動画。本当に毎日視聴していた。とくにファンというわけでもないし、好きな曲でもない。たまたまおすすめの動画とか表示されて再生して気に入ったのだろうか、まったく理由はわからない。しかし今では脳卒中との闘病生活を代弁する、強く印象に残る1曲となっている。この曲を聴き続けるかぎり、苦しくもどかしかった、入院中のあの日々のことを思い出すだろう。これがまずひとつ目。

ふたつ目は、検索でやはり盛んに登場する人名・・・「平原マチ子」。この女性?はどなただろうか。美人の看護師の方がいらして、気になって名札を見て検索をかけたのだろうか。検索ワードには「平原姉妹」というのもあり、美人姉妹の看護師さんなのだろうか(笑)不明。まだまだぼーっとした頭で一日を過ごしていたこの頃、こういうことだけはイキイキしていたようだ(笑)。ちなみにいま、このお名前でググっても何もヒットしない。名前がカタカナなのも妙にリアリティがあり、忘却の彼方に消え入ってしまう前にぜひつきとめたい疑問だ。マチ子って、きっと若い人ではないよな(笑)

最後は、「病院出入りの理髪店」。入院中、髪が伸びたので、散髪することになった。床屋さんは出張してきて髪を切ってくれたのだが、この仕上がりが素晴らしく、退院してもこのお店に行って髪を切ってもらいたいと思った。じつはその後も散髪を頼んだが、2回目の業者は前回と違ったようで、出張ではなくお店に出向いた記憶がある。仕上がりも「微妙」な出来で、何とか最初の床屋さんにまた散髪してもらいたかったが、病院の人に聞いてまで突き止めようとは思わなかった。しかし退院後は、面倒なのと、病み上がりでおしゃれしても無意味と考え、翌年から坊主頭にしてしまい、これがつい最近までデフォルトの髪型になっていた。

この原稿を書いているときに妻にこのことについて確認してみたが、散髪は1回で、こちらから出かけたこともなかったとのことだ。ではこの記憶は何なのだろうか。なるほど高次脳の記憶障害のひとつ、「作話」とはこのことかと思った。

こんなところが、入院中、身の周りのことで印象に残っている。(この回終わり)