酒保開ケ。WEB

拾った命で後悔はしない、というつもりだった。

第11回
心理の先生 2019年1月~2020年2月

その女性を「心理の先生」と呼んではいたが、それ以上はよく知らない。歳はアラフォーあたりか、背は高いほうで、長い髪をして、夏でもゾロっとしたロングのスカートをはいていた。美人ではないかも知れないが、丸っこい、愛嬌のある顔で、当初は好印象を持っていた。

「前回言いましたよね。これではとても回復してきているとは到底思えません」と言われた次の回では「順調ですね。これなら近い将来、すぐにお仕事に戻れそうですね」と言われたりもした。上げたり下げたり、何かねらいがあるのだろうが、それはよくわからなかった。そしてこれが心理士としての面目躍如なのか、彼女の言葉は、褒められてもディスられても、つねに深く心に響いてきた。

彼女との思い出のひとつに「血圧計事件」がある。診療が始まる前に必ず血圧を測るのだが、3回目くらいに「このあとどうするんでしたっけ? 血圧を測るんですよね。まだ覚えませんか。もう何回目ですか」と言われた。今思うと、自主的にルーティンをこなし、依存性のないことを確認していたように思う。依存性も高次脳の症例のひとつだった。これには同席する妻もかなりこたえた様子だった。当然、自分もくやしかった。そこでまず、使用したデジタル血圧計の型番をメモした。少し古い機種だったのか、新品ではなく中古のものしかなかったが同機種をネットで取り寄せた。機械が届くと何度も練習した。練習する必要もないほど簡単な作業だったが、自信にはなった。そして次回、血圧計が出されたと同時に、素早くそして流麗(笑)に腕に装着し、涼しい顔で測定を開始した。先生は顔色を変えなかったが、目は私の腕を見据えて動かなかった。

別の日に、施設の正面受付のあるロビーで見かけたことがあって、少し距離もあったので気がつかぬふりをして挨拶もせずすれ違うことがあった。そして次の診療の時に言われた。

「先日すれ違ったのに気づきましたか? 気づかなかったのですか。それは反側空間無視といって、見えているのに認識できない、高次脳の典型的な症例のひとつかも知れません。本当に気づかなかったのですか」

とほほメンドくせえなぁ、と思いつつ、隣の方とお話しされてたので邪魔してはと思い、声をかけなかったとか適当に言い訳し、苦笑いして済ませた。基本的にあまり会いたくはない人だった。「心理士」を検索すると、次候補に「許さない」と出たりして(笑)、やはり基本、恨まれている人たちなのだなと思わせた。

しかしさすがに50年も生きていると、こんなことでいちいち腹を立てることもなくなってくる。彼女もこれは仕事の一環なのだ、と思うようにした。のち、これは高次脳機能障害の症例の「易怒(いど)性」を試しているのではと考えた。おそらくこれで正解だろう。わざと怒らせる態度や言動で、障害のせいで簡単に腹を立てやすくなっていないか試しているのだ。その証拠に、別の日はとてもフランクに接してくれて溜飲を下げることもしばしばあった。だとすると、仕事とはいえ、なかなか辛い役回りを演じなければならない彼女に、少し同情したりもした。ベテランになると、この差を、差と感じさせない接し方で診療する先生もきっといるのだろうが、この人はまだ若くてそれが下手なんだろうと思った。そうして接することに自己嫌悪や後ろめたさを少なからず感じているのかもしれないとも思った。

話していると先生は「自分はまだ独身で、交際している人もおらず、だれもお嫁に貰ってくれない」旨をちらちら、話の節ぶしに匂わせてきた。それを私に話してどうしたいのか、よくわからなかったが、将来、結婚したいかどうかはともかく、その歳でお付き合いしている男性がいないことをコンプレックスに感じているのだろうことは伝わってきた。これがこの人の弱点だとほくそ笑み、次に会った5月下旬だったか、意地悪で訊いてみた。

「いやぁ先生、今日はいい天気ですねえ。こんな日は素敵な人と海辺をドライブなんてどうですか」。

「素敵な人なんて、いません」と、プイッと横を向き不機嫌そうに返してきた。私は心の中で小さくガッツポーズを決めた。

 コロナ禍の初期、2020年2月。最後の診療があり、先生とは握手して別れた。厳しい事ばかり言う、正直嫌いな人だったが、最後はただ感謝の念しかなかった。彼女は今回の病気で世話になったこのリハ施設で、自分が、利用者として、最後に会った人となった。以後は仕事でこの施設との付き合いがあるので、今度はあちらがお客様となってこちらが精一杯お役立てできればと考えている。(この回終わり)