酒保開ケ。WEB

拾った命で後悔はしない、というつもりだった。

第12回
駅へ出かける 2019年5月

健常の私が最後に撮影した駅は、2018年8月5日の夕方近く、福島・JR只見線の根岸という無人の小駅で、撮影した2,190番目の駅だった。この10日後に、私は病に倒れた。入院中、自宅療養中、考えることは駅のことばかり、というわけでもなかったが、病気が癒える、健康になる、復職する、働いていれば好きなことができる、好きなこととは駅の写真を撮りに行くこと──。という認識で、健康や復職などとともに、この活動への復帰は、私にとって決して外すことのできない「再起動」への重要かつ最大のピースのひとつとなっていた。

この趣味は、自由に行けるときは面倒で眠くて当日サボったりもしたが、行けなくなると逆に撮影への渇望に支配され、自分が生きているのはまさにこのため、とすら思えるときもあった。退院当時はまさにそんな状態だった。11月末に退院し、しばらくしてまず、ブログ記事作成を再開させた。3月に入ってからのことで、この間、記事作成に着手しなかったのは、いま振り返り考えると意外な感じがする。有り余る自由の時間を、駅の活動に割かなかったのはどうしてなのか。これをしない自分の日常はどんなだったのか、時間はいくらでもあったのに、不思議でならない。投稿の再開は3月29日。最初は週イチで公開させた。自分なりに細かく決めた、投稿の設定やルールは昔と変わらずそのまま守られてアップされた。

2,191番目の駅は4月のGWに訪問した、秩父鉄道の新駅・ふかや花園駅だった。秩父へ家族で出かけたおり、新しい駅に寄ってもらって撮影した。病に倒れて8ヶ月が経っていた。

5月からはリハビリ施設へ電車で通うことになっていたので、それなら駅の写真を撮りにいっても同じことだろうと、勝手にリハビリと称して撮影を再開させた。まず肩ならしで選んだのは、上野動物園のモノレールの駅だった。この時はさすがに、さまざまな想いが胸に去来し、目頭に熱いものを感じた。よくぞまた駅に戻ってきたな、と。とりあえずこれから先のことはこれから考えるとして、まず私がみずからのアイデンティティを最も確認できる活動へ、私は再び戻ってきた。ちなみにこのモノレール駅は私の撮影対象駅の範疇には入らなかったが、都営の交通ということで特別に対象とした(有料施設内の駅は除外、がルール)。

しばらくは東京23区内の駅限定で、時間も昼までと決めて活動した。いわゆる乙種出動と言われるもので、1回の出動で5~8駅を撮影した。とくに感慨もなく、変わらないスタイルで淡々と撮ってまわった。10月に復職してからは、若干遠慮気味だった活動も本格的に再開させた。始動はデフォルトで始発電車。正月休みには特急で福島の常磐線の駅を巡った。クルマで遠征して撮影する予定の箇所だったが、さすがにクルマでこんな遠くまで来ることはまだできなかったし、県警から発症後の運転許可もまだ得ていなかった。だが車で遠隔地へ複数日取材をおこない、無事帰宅できたその時が、病気を克服したとする最終的なゴールと、いつしか自分の中で設定がなされていた。まだ達成されてはいない。

そのうち、コロナで外出がままならなくなり、復職してせっかく駅に戻ってきたのにこれを自粛せざるを得なくなった。復帰して121の駅を撮影し、さあこれから、という矢先のことだった。

撮影を再開させたのは翌年の7月、1年4ヶ月後のことで、それは病気で中断していた時間の倍近くを要したのちのことだった。ここから先の話は第19回で書こうかと思う。(この回終わり)。