酒保開ケ。WEB

拾った命で後悔はしない、というつもりだった。

第8回
「高次脳」と診断される 2019年1月

私は1月21日のかかりつけ医の診断書では「動脈乖離によるくも膜下出血」と診断され、記載には「左半身の運動失調、発動性低下、遂行機能障害、見当識障害などの高次脳機能障害が残る。」とある。

高次脳機能障害を自分なりにわかりやすく説明すると、こうだ。

1個のりんごがある。腹が減った。食わないと餓死する。りんごだから皮ごとかぶりついて腹を満たすのは簡単だ。滋養にもなり、死にはしない。

だが家族もいる。食べさせたい。ナイフを使い皮も剥きたい、人数分にわけて切りたい。皿にも盛ってフォークも添えたい。自分以外の人がいれば、その人たちに配慮して、効率的に平等に衛生的に美味しくりんごを食べたいと、考えるのが普通だろう。高次脳機能障害とは、簡単に言うと、生命の危機までにはならないが、社会生活を送るうえで多々の不都合が生じて「生きづらくなる」障害のことだ。この例でいうと、食べること自体にはさして障害は影響しないが、これを皆に取り分けるとか、食べるための道具を出すとか、周囲を慮ったり、協調したり、効率的に処理するなどに思いが巡らない。

1月のこの時点の診断書では「記憶障害」の記載がない。現在も残る障害のうちでは記憶障害が最も顕著で、その他の障害はもうわずかなものという認識でいる。10月にリハ施設を退所するさい、また診断書が出て、遂行機能障害は記載が残った。私はこれに対し異議を申し立てた。自分ほどひとつのことに周到な計画を立て、その通りに慎重にことを進めてやるべきことを果たす人間は他にいない、自分ではそう思っていると主張したが、このあと第11回で登場する心理の先生に一蹴された。

「なるほどその通りですよね。・・・でもあなた、それ自分の趣味とか好きなことだけでしょ?」

反論はできなかった(笑)

高次脳機能障害を持った最も著名な人物のひとりに、ミュージシャンのKE**Oがいる。2011年にくも膜下出血を起こして手術、4ヶ月後退院したとのことだが、ニュースなどでは予後が芳しくないと報じられた。小四の漢字ドリルで勉強しているとか、性格がすっかり少女のようになってしまったとか、必ずしも順調とは思えない回復状況と思わせた。芸能ニュースの域を超えないソースからの判断はこれ以上しないが、じつは彼女はそんなに「重い」状態ではないのではと私は考えている。高次脳であることは間違いないとしても、社会生活を送るうえでそれほどの支障はないのではないだろうか。そのあたり「彼」との離婚騒動の時に、いま現在の情報も伝わってきていた。「彼」には、彼女に重い後遺症が残り、自分が看病に疲れ果てていなければならない「理由」があったのだろう。

実際に復職してからの話はのちするとして、退院から復職までの間の、高次脳について、特筆すべき事象をいくつか挙げる。

実際に記憶障害やら遂行機能障害やらを、入院中に体感することはほとんどなかった。入院中は「社会生活」とは程遠い「上げ膳据え膳」の状態で、自分から何かを自発的におこなうことなどごく僅かに限られていた。

だが退院後は、拘束はなくなったが、そのぶんみずからの判断で動くことが多くなった。まず以前に比べ、忘れ物が多くなった。出かけるときの「持ち物リスト」を机の前に貼って、確認した。それでも忘れ物があった。日々のルーティーンから少しでもイレギュラーなことがあると、脳が混乱した。決めた順番を逸すると、もうダメで、最初から順序立てて考えないといけなかった。

3月に、朝早く出かけることがあって、眠っていたところを急に起こされた。だがなぜこんな時間に起こされるのか、何の用事があるのか、誰とどこへ行くのか、前日からかなり楽しみにしていたにもかかわらずまったく思い出せず、ひどく狼狽したことがあった。とくに休日は早朝に起床し出かけることの多かった自分には、今まで経験のない現象だった。これはいわゆる「寝覚めの悪い人」には日常茶飯事なのかもしれないが、自分の障害の重さを体感することのひとつとなった。

その他、第9回の転倒事件や、地誌的障害などあった。食卓の左隣に座る長男の夕食のおかずに間違えて箸をつけてしまったこともあった。当時は(左)反側空間無視の兆候かと思われたが、その後はなかった。あと、ものによくぶつかる、というのもあったが、これは脳が原因というより、右眼の障害によるところが大きい(この回終わり)。