酒保開ケ。WEB

拾った命で後悔はしない、というつもりだった。

第14回
就労支援プログラム 2019年8月~9月

8月からの就労支援プログラムでは、実際に就職(私の場合、復職)先の仕事を見据えた、より実務的な訓練をおこなった。私の場合、「販社の営業担当」と仮定して、施設の用意した課題を与えられ、これにあたった。「勤務」時間は9時~16時半の毎日で、拘束時間は実際に社に戻ったときとほぼ同じボリュームになった。ちなみに社に戻ってから3ヶ月間は時短勤務で15時には退社していたから、訓練のほうがより長い時間拘束されていたことになる。

自分に与えられた課題は、1.ワープロ検定の練習問題 2.ビジネス文書の作成 3.顧客住所録の作成 4.名刺の整理 などがあった。変わったところでは、育てている観葉植物を販売するための値札作り、というのもあった。あと、模擬の外線電話に応対する訓練があったが、この施設の方はみな公務員のようなものなので、掛けてくる電話の内容が嘘くさく「そんなヤツいないだろ普通」と苦笑して対応した。

だがこの訓練のメインは「プレゼン」である。雑誌を読み、気になる記事をレポートにまとめ、なおかつ数人の聴取者の前でプレゼンするのだ。週イチで発表があり、自分はビジネス誌からテーマを選んだ。レポートを書きプレゼンをするには、そのことについてまず学ばねばならない。毎週木曜がプレゼンだったが、それにあわせ雑誌の記事を読み、付帯の情報をネットで集め、レポートを作成し、プレゼンの原稿を作成、声には出さないが読み合わせて話す内容を調整した。というとかなり真面目に取り組んでいたように聞こえるが、実際はだらだらhtmlの自主勉強などをして過ごしていた。当webサイト構築時のスキルやテクニックはこの時に蓄えられたものも多く、現在のサイト運営に少なからず役立っている。

プレゼンの「ギャラリー」は、詳しくは知らぬが、施設に研修に来ている医療関係の専門学校生だったようだ。人前で話すのはそれほど苦にならないので、プレゼンの時間は張り切ってこれにあたった。笑いを適宜織り交ぜて、なかなかの出来栄えだったように思うが、話す前に「所要時間」を自己申告させられた。話しているうちに熱を帯びてきて、その時間内に収まったことは一度もなかった。この結果で高次脳の障害のひとつの「遂行機能障害」の度合を見られていたのかもしれないが、さすがにここまできて復職延期にはならないだろうと思い、気にせず好きに話した。テーマは健康食品、ふるさと納税、宅配業界などがあったが、取り上げたジャンルの業界に少し詳しくなって、その後何かしら役に立った。

またここでも体育の授業があり、夏の盛りで暑い中、これに取り組んだ。

このプログラムに参加している人たちは、治療、リハビリ後に、あらたに就職活動を始める人と、もとの職場に復帰する人とふたつに別れていたようだ。私は後者だが、これから就職活動を始める人たちは、みないいトシだし、身体に障害のある人もいて、なおかつ高次脳持ちで、前途の困難は想像に難くなかったが、気にせず私は私の課題に集中した。

期間中は父親の腸の手術で欠席もあった。また心理(第11回参照)の診療があるときは1時間遅刻した。他に台風で交通がマヒして3時間遅刻などもあり、せわしなかったが、実際社会に復帰すれば、つねに予定通りことが運ぶことなどまずない。そういう意味ではフレキシブルに対応するための脳のキャパと心の余裕を求められ、これもまたいい訓練になったように思う。

9月末、最終日の訓練を終え、施設をあとにする。正直だらだらと過ごした2ヶ月だったが、不思議と「やりきった」感に満たされていた。訓練は、自分はもう社に戻ってもじゅうぶんやっていけるという自信を、あらためて再確認する時間だった(実際は決してそうではなかったのだが)。

新幹線の発着するターミナル駅は夕方のラッシュに入りかけていた。次週はもう10月。やや肌寒い風が自分の傍らを吹き抜けていったが、それもまた心地よかった。来週からはまた社会人に戻る。金を稼げる。みんなに会える。これからが困難の始まりであることは百も承知だったが、その困難を敢えて選んで渡ってゆく自由もまた、これで取り返した。行き交うサラリーマンの列に紛れ歩く自分が、心なしか少し誇らしげに感じられた。(この回終わり)