2012
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駅名標
神奈川県三浦市の代表駅で、代表駅とされるが市域の北部に偏って設置されている。開業は1966(昭和41)年。三崎口延伸の1975(昭和50)年まで久里浜線の終着駅だった。市の中心街、市役所までは鉄道が通じておらず、専ら京浜急行バスの運行で賄っている。
榊原郁恵さんの歌「夏のお嬢さん」を思い出す(笑) ここに海水浴に行ったとき、浜辺でパワープレイされてたのよ。
南北の出入口のようす
高架駅で、南北に出入口があるが、改札口は高架下の中央に一ヶ所。バスロータリーが北側に置かれ、南側は海水浴場が至近、お土産屋さんや食べ物の屋台などで賑わう。2018(平成30)年に新駅舎の供用を開始した。各写真は2012年当時のもの。
南側の駅前のようす。出店にはビーチグッズ?が
並んでいる。
改札口は高架下は広く取られていて 海水浴客をさばく。
撮影は8月の休日なんだが人出はこんなものか。
お盆を過ぎると海水浴場もそろそろ店じまい。
2番ホームから南口を俯瞰。
南口の三崎口側から 改札方向を撮影。
1番ホームの三崎口方ホーム端より三崎口方向を北側駅前付近を俯瞰して。県道214号がアンダーパス。
北側のバスロータリーは3番のりばまで。おもに駅のない市域南への路線がメイン。
バス停でバスを待つ。おっ、なかなか盛況ですな。
北側バスロータリーの三崎口方より駅全景。
いかにも70年代らしい無骨なコンクリむき出しで
機能性最優先の構え。
【最新】2018年5月より供用開始の新駅舎。
コンパクトになった印象。
改札口・コンコース
一日の乗車人員は5,652人(2018)で、1995(平成7)年の調査時は7,358人。毎年少しづつ数を減らしてきたが、首都圏の「都心回帰」志向による影響が少なからず反映された数字か。
改札外コンコースのようす。
改札口。海水浴シーズンの混雑に備え、臨時の改札がおかれる。
改札内から改札口を。ホームなどはかなり余裕を持って作られているが改札口はそれほどでもない。
1段上がったフロアより1,2番ホームへの階段が続く。
ひとつ上の写真を逆方向から。EVはこの両サイドに設置。
いかにも無機質な構内。新駅舎になってこのへんどうなったんだろうか。
ホーム(相対式2面2線)
1,2番両ホームとも、海水浴客に備え幅広の造り。余裕を持った構造になっている。
1番ホーム、三崎口方の階段付近より。
ホームは相対式2面2線。こちら2番ホーム上り品川方面、向かいが1番で三崎口行き。ホーム中間部付近より三崎口方向を撮影。
2番ホームやや品川方より三崎口方向を撮影。電車は
平日上りで始発4:50、終電は同じく上りで23:34堀ノ内行き。
2番ホーム中間部より品川方向を見る。電車は平日上りで日中は6本/時、種別は特急と快速特急のみがやってくる。
かわって1番ホームは下り三崎口行き。ホームやや三崎口方より三崎口方向を撮影。
ひとつ上写真のほぼ同位置より品川方向。次駅が終着駅なので電車に乗る人は見当たらない。
下り三崎口方面
次駅は終点の三崎口。金田湾の海が見え始めた車窓は、この先丘陵地帯になるため再び内陸部を行き、もう海は見えない。
下り三崎口方1番ホーム端より三崎口方面を見る。
上り2番ホーム三崎口方ホーム端より三崎口方面。
間もなく単線区間となり三崎口駅直前までそのまま。
上り横浜方面
次駅は津久井浜で1.5km東に。
ホーム有効長は12両分だが定期運用の電車はやってこず、品川方の先端4両分は柵が立っている。
この先津久井浜までは1966年開業時よりすでに複線。
空中写真より
1963
(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス MKT637-C25-7を加工)久里浜線が延伸し当駅まで達したのが1966(昭和41)年。それ以前3年前のようすだが、駅はまだ影も形もない。シーズン中は賑わい渋滞する134号も、この当時はただの片田舎の幹線道路といった感じ。
1972
(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス MKT725-C3-3を加工)三崎口延伸は1975(昭和50)年なのでその3年前のようすだが、三崎口方面への線路はまだ、まったく確認できない。駅は近代的な高架駅だが、それなりの「終着駅」としての雰囲気を当時、持っていた。
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