2012
※画像はクリックで拡大します。
駅名標
神奈川県横須賀市に所在する、東日本旅客鉄道・横須賀線の駅。開業は1904(明治37)年。ホームの両端をトンネルに挟まれており、電車は東側(横須賀方)の七釜トンネル内でドアカットをおこなう。
トンネルが迫る横須賀方。大船方もトンネルに接する。
南北の駅出入口
コ南北に出入口があるが、 南口に駅前広場があり、タクシー、バスが発着する。北口は海自の各施設が目の前にあり、商業施設などほぼ皆無で、人の姿もまばら。
北側の出入口へは橋上駅舎からの長い跨線橋を渡る。
北側出入口は病院や補給関係の施設が集中、
工場、倉庫会社なども置かれる。
2001
付近はかつて帝国海軍の補給関連の施設が置かれていたが、いまなお現役の倉庫も存在する。
2001
駅周囲には海軍時代のもの含め、専用線のレールが残り、直角交差や道路と共用のトンネルなど、なかなかディープな世界を演出。
南側の駅前は駅の規模に比して広々。
路線バスも発着する。
南口はすぐに国道16号に出る。
この道路も東西をトンネルに挟まれている。
南出入口には屋根がかかる。
ひとつ前の写真のドンツキ。EVの導入は2010年。こちら南出入口とホームに設置。
橋上駅舎内のようす
改札口は1ヶ所。一日の乗車人員は1,816人(2020)で路線最少。コロナ禍以前の2019年は2,232人。1995年は3,710人を数えていたが、同路線の他駅同様、はっきり目に見えて利用客の減少が止まらない。
駅の連絡跨線橋からホームの久里浜方を撮影。左の高層?マンションも、立地がマニアにはたまらない(笑)
北口からの跨線橋を進み、入口を振り返る。
その跨線橋をホームから見る。 長い跨線橋の下にはかつて専用線が敷かれ、貨車が連なり行き交っていたようだ。
橋上駅舎のコンコース付近。左奥に前出の北口からの跨線橋が見える。
改札口のようす。
改札内より改札口を撮影。
ホーム(島式1面2線)
11両編成の電車が入線するが、当駅は両端をトンネルに挟まれており、上下線ともに先頭車両はトンネル内に全体を突っ込んで停車しドアカットをおこなう。久里浜方のトンネルは南側から明治・大正・昭和に作られた三世代のものが並んで設置されるが、最も新しい昭和のものは専用線がかつて使用していたもので、現在は使われていない。
左1番ホームで上り東京方面、右2番で横須賀。久里浜方面。左奥に北口からの跨線橋、左に高層マンションが見える。久里浜方ホーム端近くより東京方面。
橋上駅舎からの階段より東京方向を撮影。上屋の柱は一部木製のものが残る。
こちら海側は2番線下り。レンガのトンネルポータルが口を開けている。
東京方ホーム端より2番ホーム(左)を見る。北口からの長い跨線橋のようすがよくわかる。
跨線橋から久里浜方向を。かつては写真に見える引き込み線が「昭和」トンネルに続き、専用線に接続、貨物の運搬にあたった。
2010年供用開始のEVはここ。写真当時はできて3年ほど。
2番ホームのやや久里浜寄りから久里浜方面。左・昭和、隣が大正のトンネル。七釜トンネルという。
上り大船方面
次駅は3.4km先に東逗子。途中、京急線と直角に交わり、当路線側がアンダーパスする。
北口連絡の跨線橋より東京方の田浦トンネルを見る。
トンネルの案内板が設置されている。
大船方面はすぐトンネル。左上り大船方面、右が下り久里浜方面。
短いトンネルを抜けるとすぐ、国道16号を跨いで次駅東逗子へとむかう。
下り久里浜方面
前出だが、右から明治~大正~昭和の三世代にわたり設置された七釜トンネルが口を開ける久里浜方面。最も新しい昭和期のトンネル(左)は、専用線の使用終了にともない現在は使用しておらず、列車はやってこないのが何とも皮肉。
こちら久里浜方面もすぐにトンネルが待ち構える。
電車が長くなったのか、どうしてもこの場所に駅を設置したかったのかよくわからないが、トンネルに挟まれてもうすぐ100年。
今なお現役の「明治」トンネルは1889(明治22)年開通で上り線用。こちら七釜トンネル側は下り電車の先頭車両1両と2両目前寄りの扉をドアカットして締め切る。こちらは上り線なので最後尾で11両目はホームに入りきる。
写真の電車は上りなので、こちら側ではなく、先頭車両が東京方のトンネルに突っ込んでドアカットする。
空中写真より
1946
(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス M46-A-7-2を加工)北側の長い跨線橋はこの当時から。専用線を跨ぎ、ホームと南側出入口を結んでいた。地上駅舎が南側に設置されていたのがわかる。貨物取扱いの廃止は2006(平成18)年。
Google Map
※地図をクリックすると左上のラベルが消えます。