2012
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駅名標
神奈川県横須賀市に所在。東日本旅客鉄道・横須賀線の駅。「横須賀」と名乗るが市の代表駅は京急の横須賀中央駅。開業は1889(明治22)年、官設鉄道開通時で、海軍の各施設への交通手段、物資輸送を担った。戦後は在日米軍への物資輸送の拠点にとなった。駅周辺は戦後は閑散としていた時期もあったが、90年代あたりより旧海軍施設を中心に観光資源を活かす街づくりに転換、多くの観光客の玄関口として隆盛を見せている。
近年は 少し元気がないように思えるが(笑)
駅舎周辺のようす
現在の駅舎は3代目とのことで、1940(昭和15)年に落成。背後すぐに急斜面が迫り平地が少なく、長らく駅周辺は 閑散とした雰囲気だったが、近年、観光地としての整備が進み、横須賀観光の玄関口としても利便性が向上してきている。
駅前のロータリーには狭いながらも複数路線のバスが発着する。
近年、観光客で賑わいを見せているが、戦後は荒廃した時期もあり、1960年代には自動車輸送基地が設けられたりした。
海が見えるまで0分(笑) ヴェルニー公園からは「軍港」横須賀のようすを見ることができ、潜水艦などの艦船も至近に停泊していることが多い。
2003
あまり変化はないが2003年当時のようすを。
2003
駅舎出入口付近の、2003年当時のようす。
駅舎内/改札口のようす
関東の駅百選の選定駅で、理由は『階段が一つもない平坦な、人にやさしい駅』。軍港の最寄駅だったので「やんごとなき」人たちの利用を考慮して、あまたの人々に「やさしい」わけではなかったのだろうが、今となってはバリアフリーのお手本のような構造。また、容易に物資積み下ろしができるよう段差を嫌った、という理由もある。
一日の乗車人員は3,796人(2020)で、コロナ禍前年の2019年は4,845人だった。京急の横須賀中央駅の33,787人(2019)に大きく水を開けられている。ちなみに1995(平成7)年は7,266人で、駅周辺に高層マンションが建ち並び、まちのようすが変貌していく中で当駅利用客は減少の一途をたどるばかり。
駅構内のようす。天井が高く、広々とした印象。柱もない。
2002
天井の電灯のカバーがなんだかお洒落だが、2012年の前葉では撤去されている。現在は復活したのだろうか。さきの震災以降、駅はどこも薄暗い。
改札外より改札口を撮影。
同じく改札外より改札口正面を。
ここまで階段も段差もなし。改札内から島式ホームに直結。
ホーム(2面3線)
ホームは2面3線だが実質1面2線で、番号も2番ホーム、3番ホームと振られているが、1番線は頭端式の2番線の海側、4番線は久里浜方面に伸びる側線扱いとなっている。
大船方ホーム端近くより
駅舎、久里浜方向を撮影。左2番ホームは頭端式、右3番ホームに、当駅が「途中駅」な上下線の電車が入線する。
ひとつ上の写真からさらに引いてホーム端付近より。左に「本町山中有料道路」が出口に向かって下っている。
2番ホームより駅舎方向。1番線はこの写真真ん中。さらに海側に側線が分岐する。
上屋は木製。これも横須賀観光のさいはぜひ見物を。
左の側線が途絶えた
付近から先がホーム跡。トイレと旧駅長室とのこと。
頭端部から左2番ホーム、右が1番線と、何となく形を留めている1番ホーム。
2番ホームやや久里浜寄りから大船方向を見る。
2番ホームの終端部付近より大船方向を撮影。
上屋も貫禄十分。
歴史を感じさせる。
田舎の私鉄とかでは
こんなのたまに見るけど、横須賀線ですからね、ここ。
3番ホームは上下電車が入線。当駅から久里浜方面は単線。列車交換もできない棒線構造。ホーム中ほどより久里浜、駅舎方向を見る。
左3番ホーム。久里浜方改札口付近より大船方向を見る。
4番線がトンネルに向かって3番線とともに久里浜方に。踏切より駅舎、大船方向。
2002
山側の側線にはモーターカーなどが留置されていることが多いが、近年はイベントなどで活躍する。
上り大船方面
次駅は2.1kmで田浦。高層マンションやら高速道路やらで、このあたりの風景もずいぶんと変わった。しかし海に浮かぶ軍艦の姿は100年以上前から今も変わらない。
次駅田浦までの海側の車窓は
今も昔も海軍/海自の縄張り。
下り久里浜方面
次駅は3.4km先に衣笠。うち2kmは横須賀トンネルの区間。下写真の先ですぐに単線となる。
駅を出て短いトンネルを抜ける。現在、この小山の上には高層マンションがそびえる。
4番線がトンネル内で合流。
2002
単線となり、間もなく
線内最長の横須賀トンネル(2,089m)が口を開く。
空中写真より
1971
(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス MKT714-C4-8を加工)本町山中有料道路の開通は1992年。開通はまだまだ先で、近辺はお世辞にも賑わいがあるとは言えなかった頃。駅周辺は自動車輸送基地になっていて、整然と並んだ自動車群は周辺の雰囲気をさらに殺伐なものとしていた、と聞く。
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