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武蔵五日市

むさしいつかいち Musashi-Itsukaichi

武蔵五日市駅 武蔵五日市駅

終着駅

  • 東日本旅客鉄道 五日市線

武蔵増戸(2.6km)当駅

<駅DATA>
所在地東京都あきる野市
開業1925(大正14)年
乗車人員(日)3,577人(2022)
駅構造高架駅
ホーム1面2線
駅名変遷(1925.4)五日市(1925.6)
他路線貨物支線・岩井支線(1982年廃止)
<撮影DATA>
登録##00172
撮影日2012/12/1
区分
撮影枚数40

データ:Wikipedia「武蔵五日市駅」


2012

※画像はクリックで拡大します。

 駅サイン

 東京都あきる野市に所在する、東日本旅客鉄道・五日市線の終着駅。開業は1925(大正14)年、五日市鉄道開業時。南武鉄道を経て1944(昭和19)年国有化、五日市線となる。また開業約半年後には当駅~武蔵岩井間が開業したが、旅客営業は1971年に、石灰石輸送の貨物営業も1982年に終了した。

駅名標の写真ありませんでした(笑)

 駅舎とその周辺  

 旧五日市町の中心地で、1995年に秋川市と合併し現在のあきる野市となったが、駅前は商店も多く、賑わいを見せている。それに相応しい高架の駅舎を持つ。

1996年に高架化された駅舎。堂々たる構え。2016年には地元の木材を使用して構内内装がリニューアルされた。

構内にはコンビニや観光案内所などが置かれ、公衆無線LANサービスも行われている。

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コミュニティバス「るのバス」も便利。

駅出入口付近を拝島方面に向かって撮影。バスは電車の始発よりも早く4:30始発のものも。4時半って……(笑)

逆側の拝島方から駅前を見る。東京の、さらに西部のまちとの交通の結節点となっている。

駅舎北側にある出入口。介護施設「五日市センター」が至近。

 駅舎内の改札口付近

 一日の乗車人員は2022年で3,577人。1990(平成2)年には5,356人だったので、コロナとは無関係に少しづつ目減りしてきている。

南側の駅舎出入口。改札がすぐ右に。前出の北側への出入口が左に。

改札口。左にみどりの窓口が見えているが、2017年に営業を終了した。

改札口は1ヶ所。改札内コンコースが真っすぐに伸び、広々としている。

改札内より改札口。駅のコンビニ「New Days」が見える。利用客に比して大型。

改札内コンコースから伸びるエスカレーター。写っていないがこのすぐ右にEVがある。

階段はエスカレーターの向かい側に置かれる。

 ホーム(頭端式1面2線)

 島式ホームは先頭と終端の一部を除きドーム型の屋根で覆われている。

拝島方ホーム端近くより終端部を撮影。左1番、右2番ホーム。

逆に終端部より拝島方向。左2番、右1番ホーム。

エスカレーターが見えるこのあたり、やや頭端部寄りのホーム中ほど。

左が1番ホームで右が2番。EVの扉がこちらを向いている。

左2番ホーム中間部あたりから頭端部に向かい。前葉のEVの裏側から見る。

 終端部

 駅は中間駅とすべく、延伸が可能な構造になっている。東京のさらに西部に向け線路は延びる予定だったのだろうか。

終端部には屋根がかかっていない。

延伸の計画も構想も今は公表されていない。

 上り拝島方面

 次駅は2.6km東に武蔵増戸。

拝島方ホーム端。すぐに単線となるが旧・三内信号場付近は現在も側線扱いで線路が残存し、事業用車が留め置いてあるのがgoogle Mapで確認できる。

この付近、高架なのもイマイチよくわからない。まちの発展を見越して鉄道を高架にしたのかもしれないが、その判断は正しかっただろうか。

【最新】高架の橋脚もアーチを描く。もとは地上に
駅があったのだが、高架化してそろそろ30年になる。

  空中写真より

1974(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス CKT7417-C21-20 を加工)青マーカーが当駅。緑マーカーは武蔵岩井駅で、その0.6km手前に大久野貨物駅があった。前者は1971年に、後者は1982年に廃止となった。

1948(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス USA-R1779-158 を加工)青マーカーが当駅。現在の広い駅前一帯はかつては石灰石輸送の貨物ヤードだった。緑丸は三内信号扱所で、旅客列車は当駅を出た後信号所でスイッチバックして岩井支線へ入線していった。

 Google Map

※地図をクリックすると左上のラベルが消えます。

【東日本旅客鉄道 五日市線】拝島--熊川--東秋留--秋川--武蔵引田--武蔵増戸--武蔵五日市

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