酒保開ケ。WEB

拾った命で後悔はしない、というつもりだった。

第1回
ハンマーで殴られては、いない。2018年8月

その時、私は家族と父母、弟家族とともに2日前より静岡県に遊びにきていたが、病は帰路につく最終日のその朝にはすでに発症していて、頭部にひどい鈍痛をもたらしていた。

「Googleマイアクティビティ」によると、その日は朝5時過ぎには起床してスマホでネットを見ている。検索ワードは「左脳」「痛み」「脱水症状」など。左の脳が痛むのはのちの診断書上の「左椎骨動脈瘤解(乖)離」と一致する。基本、頭痛持ちだったが、この時の痛みには、いつもと違うただならぬものを早朝から感じ取っていたようすが見受けられる。「脱水症状」は自分の思い違いだったが、9月末まで頻繁に登場する検索ワードだ。それがなぜだかは、記憶がないので説明できない。

朝食は普通に取ったと思う。10時に宿泊先を出発。帰路につく。しかしついに痛みに耐えきれなくなり、正午前、高速のPAまで救急車に来てもらい、近くの県立病院に救急搬送された。担架に臥して車内に入ったところまでは覚えている。

くも膜下出血の症状を「ハンマーに殴られたような激痛」と形容することが多いが、自分の場合はそれほどの痛みではなかった。ネット記事によれば、そのような激烈な痛みを感じる人は罹患者の10%ほどだという。しかし救急車を呼んだのだから、ただでは済まない痛みだったことは間違いない。そんな中でも、気が紛れるよう帰路の車内で笑い話をしたり、最後は意識が飛ばないように鉄道駅を起点から終点まで順に呟いたりした。

しかし、ここから9月の末までの約45日間、まったく記憶が残っていない。1ヶ月半後に地元の脳卒中専門の市立の医療センターに転院したが、もとは県西部の県立病院にいたことは、センターを退院する11月下旬あたりまで知ることはなかった。以下は妻の証言と、残された写真と、googleのタイムラインより得た当時の状況である。

倒れた当日は、私と母を病院に残し、昼過ぎに妻は父、弟家族とともに車で地元へ戻り、妻だけ私の衣類や洗面道具などを持って、電車で再び県立病院へと向かっている。もう夜だ。緊急の手術も終わっている。途中、東海道本線の二宮付近でタイムラインが途切れている。ここでスマホの電池がなくなったのだろう。そしてこの日から、病との闘いと、再起動への準備と、そして過去の自分への悔悟、残った人生への懺悔の日々が始まり、それは400日後の翌年10月まで続くのである。

発症するまでの自分は、不健康極まりない状態で、現在75kgほどの体重は当時は95kgはあっただろう。喫煙もしていたし、高血圧などの薬も切れたらしばらく放置、今からすると自殺行為そのもの。痛みを味わなければ問題を理解できないのは私に限ったことではないだろうが、それが最悪の結果を招くことになった。健康は無尽蔵で供給されるものではないのを思い知った。当たり前のことだったが。

発症当日の朝、私がおいの手を曳き、宿の駐車場へ向かう写真が残っている。顔を痛みに歪め、伏し目がちに歩く自分を捉えたそれらの写真は、健常だった自分の姿を残した最後の数枚となった。(この回終わり)